みっともないⅡ

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  現代日本人からみっともないという感情が消え失せていると書いた。何故なのだろうかと考えてみるに、日本はよくの文化だといわれている。『みっともない』という感情が消え失せているのは、この『恥』が心の中から抜け落ちてしまったからではないかということに思い至った。『恥』というのは明確な定義が無い。学校の教科書を見ても『恥』について、明確な定義というか、説明は無い。自分のことを振り返ってみると、『恥』ということを明確に説明というか教わった記憶が無い。しかし、母親から、
 「そんなことしたら恥ずかしいよ。」とか、
 「あ~あ、そんなみっともないことしないの。」
 「ほらほら、みんなに笑われているよ。恥ずかしいから止めなさい。」とよく言われていた。そういう過程で何が恥ずかしくてみっとも無いかを教え込まれていた気がする。まさに躾の一環で教え込まれていたのである。
 翻って現在の状況を見てみると、そんなことをしている親はいるのだろうか。いない!!  いないのは共稼ぎ世帯が増えて、0歳の頃から保育園に預けられている子が増えている状況とは無縁ではないのだろう。
 最近の親は我が子を余り叱らなくなった。叱るというのは躾の中でも重要な行為だと思う。善悪の判断がまだつかない子どもにとって、叱られることで、何が良くて何が悪いかが直感的にわかり、身体に沁みこむのだ。ところが朝、僅かな時間しか顔を会わすことができず、すぐ保育園に預けて職場へ向かう。夕方は買い物をして、保育園から我が子を引き取り、夕食の支度などの家事をこなしていれば、子どもとジックリ向き合うことは出来ない。また、子どもとチョットの間しか触れ合えないから、そのチョットの間に子どもを叱ることなど、もったいなくて出来ない。子どもといる時間は楽しい時間にしたいだろう。保育園の保母さんも若い方が多く、躾というよりも仲良く遊ぶことに目が向いているから躾は出来ない。預かり物だと思えば叱ることも簡単には出来ない。また、保母さん自体、躾が出来ていない人も多いと思う。
 私の家庭は、私が小学校中学年くらいから母が働きに出た。でも、私はそれまでに何が恥ずかしくてみっとも無いかは判断が付いていた気がする。まさに三つ子の魂百までではないだろうか。だから、経済的、物質的には充実した生活は送れないかもしれないけれど、子どもがせめて小学校中学年になるまでは、母親は働きに出ないで子どもと付き合うべきだと思うのである。経済的、物質的には充実した生活といったって、せいぜいクルマを所有し、休日に公園や遊園地へ行き、ファミリーレストランで食事をするといった生活であろう。クルマが無くても電車で出かければ良いのだし、近所の公園で親子で遊べば良いのである。わが家も最初は車はなく、電車で郊外へ出かけてハイキングやデイキャンプなどをして楽しんでいた。親子で遊べるのもたかだか10年くらいのことである。小学校中学年になると、親離れを起こし親とは遊んでくれなくなってしまう。どうしても友達と遊ぶ方が主体になってくる。だから、子どもが生まれてから10年間は育児と躾けに専念すべきだと思う。
by yousui-nobidome | 2006-05-22 06:58 | 日本を考える


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