野火止陽水もとい野火止用水

(私の家のそばの「野火止用水」です。ドブ川ではありません)
野火止陽水もとい野火止用水_a0006530_2383023.jpg 私のブログ名のルーツである『野火止用水』のことを紹介します。
 野火止用水は承応4(1655)年、川越城主の「松平伊豆守信綱」が幕府から玉川上水の三割の分水許可を得て、東京都小平市小川町から埼玉県志木市の新河岸川までの25km.を掘削して作ったものです。


野火止陽水もとい野火止用水_a0006530_2317061.jpg 私が住んでいるのは東京都清瀬市ですが、この辺りでは東久留米市側を黒目川が、所沢よりには柳瀬川が流れており、両河川に挟まれた台地上を掘削して作られています。


野火止陽水もとい野火止用水_a0006530_2322472.jpg 野火止用水が作られた当時は、用水敷きは幅4間(7.2m.)、中央の2間が水路敷きになっており、ここを水が流れていたそうです。
 現在は清瀬市から埼玉県新座市の間は、脇を交通量の多い「水道道路」が走っており、なんとなくこの道路の側溝のように見えます。また、散策路もありますが、所々暗渠になってもいます。



(清瀬市と東村山市との境辺りの野火止用水です)
野火止陽水もとい野火止用水_a0006530_2331113.jpg 東京都東村山市の方へ行くと人家が少ないためか、野性味を帯びてきます。脇を走る道路も「野火止通」と名を変えます。

 
 私が凄いな~と思うのは、25km.にわたって下り勾配の水路を掘ったことです。どこか1箇所でも高くなったり、上り勾配になったら水は流れません。清瀬市の台地から右か左にそれたら川に合流してしまいます。
 1655年当時にそんな優れた土木技術があったことは驚きです。
 でも、江戸時代には大規模な河川改修が行われ、利根川を銚子の方へ流れさせたり、荒川水系の河川改修を行っています(どちらが先かは分かりませんが)。土木技術が蓄積されていたのでしょう。


野火止陽水もとい野火止用水_a0006530_23371625.jpg 次回は小平市か新座・志木市の方へ行ってみたいと思っています。
by yousui-nobidome | 2004-12-05 23:47 | 日常生活


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