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敬老の日に思う

a0006530_21223345.jpg 今日は敬老の日であった。敬老という言葉は、今の日本では死語になってしまったかのように思える。核家族化により老人が家にいない家庭が増え、身近に老人に触れる機会が減ったからだろう。街中には老人が増えているというのに、
 「老人に触れる機会が減った。」とはどういうことかと感じる人も多いのではないだろうか。でも、
 「最近、老人と話をしたことはありますか。」と訊かれると、高齢者介護
a0006530_21225489.jpgや看護士等の職業についているひと以外のひとは、多分
 「ノー。」と答えるだろう。
 都会生活者はとにかく自分の殻に閉じこもり、他人との接触を避けたがる傾向にある。マンションやアパートに住んでいても、隣人のことを知らない人が多いとも聞く。高齢者以外の人とも接触したがらないのに、わがままで自分勝手な高齢者に、積極的に接しようとする人がいるわけがない。
a0006530_21231170.jpg しかし、これから本格的に高齢化社会が到来するのに、こんな状況では社会が行き詰ってしまうのは必至だろう。
 先ほど『わがままで自分勝手な高齢者』と書いたが、高齢者は多くの人が反発し、高齢者以外の人は頷くのではないかと、私は思っている。高齢者と聞くと私が連想する言葉でもある。とにかく高齢者は高慢ちきが多く、年下の者をけなさないとすまない性格の人が多い。この態度を、高齢者自らが改めないといけないと思っている。また、若い人は少しくらいの高慢ちきは許すべきだと思う。なにしろ、自分たちの何倍もの時間を生きてきた人達なのだから。
 今、私が住む地域では、小学生の登下校を見守る運動が、農作業をしている人たちの間で始まっている。農作業の中心は高齢者主体だから、この運動が広まれば、若い人たちとのコミュニケーションが期待できる。他の地域でも、子どもたちの登下校時間には、家に引きこもっていないで外に出ようと言う運動をしていると言うことも聞いている。良いことだと思っている。
 敬老の日というと、高齢者を公民館に集めて、食事会や園芸を披露する行事が開かれる。しかし、なにも老人だからといって地域で特別に奉仕する必要はないと思う。社会の一員なのだから、『してもらう』ことを期待してはいけないのである。高齢者として出来る範囲で『社会に奉仕する』気持ちが必要なのではないだろうか。
 社会の先輩である高齢者の人たちの方から、積極的に若い人たちとコミュニケーションをとることが大事ではないだろうか。
by yousui-nobidome | 2006-09-18 21:21 | 日本を考える

しつけ

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 9月になって正直「ホッ」としている。子どもたちの夏休みが終わったからである。夏休み中は朝夕の通勤電車に、行楽に向かうあるいは行楽帰りの親子連れが乗り込んできて、その行儀の悪さに閉口していたからである。
 子どものしつけの悪さ以上に、親の行儀の悪さにも驚かされた。普段子どもと過ごすことが少ないからか、子どもへの過剰なサービスが多い。それが周りにどれだけ迷惑をかけているかを、一向に気にかけない親が多いのには驚かされてしまった。
 親子で出掛けるのは、子どもに社会のしきたりを教える良い機会である。それをあっさりと放棄してしまっているようでは、親として情けないではないか。親としての資格に欠けると言わざるを得ない。

 「ホッ」としたのもつかの間、今度は高校生の通学生に遭遇してしまった。こやつらもかなり手強い。それというのも小学校の時からのしつけがなってないからである。
 「マイッタ、マイッタ。日本はどうなってしまうのだろう?」
by yousui-nobidome | 2006-09-04 23:40 | 日本を考える