福祉(4)

(所沢市の航空記念公園の晩秋)
福祉(4)_a0006530_224103.jpg
 「朝日新聞(12月1日朝刊)明日の介護」を読んだ。私は「介護予防」について、次の問題点があると感じた。
 
☆まず1つ目は「要支援」や「要介護1」といった、介護度合いの振り分けに問題がないかという点である。朝日新聞の記事を読むと「要介護1」の人が、本当に筋トレなどの運動ができるのかという疑問である。11月30日の記事を読む限り、それなりに筋トレができたようである。ところが12月1日の記事を読むと、筋トレなどとてもできそうにないように感じた。同じ介護度合いの判定で、判定した人(地域)によって介護度合いに開きというか差があるのではないかと感じる。その自治体の介護予算額の多寡によって、あるいは、高齢者の人数の多少によって、介護度合いが変わっているのではと感じた。

☆新聞の記事によれば、介護予防が「適当」、「不適当」は市町村の「介護認定審査会」が判定し、適当と判定された人については「地域包括支援センター(仮称)」がケアプランを作成し、「筋トレ、栄養指導など介護予防中心のサービスを給付」することになっている。これには、当人の意思が反映されていない。体がもっと良くなりたいという人はいいが、そうではない(今の状態でいい)という人にも筋トレを強いることになっている。
 若いときに、何がしかの運動をやっていた人は、
「もう一度やってみようか」と思うかもしれないが、やったことのない人は
「今さら運動なんてやりたくない」と思ってしまうだろう。
 また、介護認定審査会」や「地域包括支援センター(仮称)」は誰がなるのだろう。しっかりと「適当」、「不適当」やケアプランの作成ができるのだろうか。日頃、被判定者と接したことのない者が、機械的に行ってしまうのではないだろうかという危惧がある。

☆決定的な難点は、
財政上の理由により、無理やり運動をやって介護を受けないようになろう」というスローガンが先走って、高齢者の意思がまったく反映されていない点である。

★予防介護の導入は、増加する「介護給付費」の抑制のためである。しかし、介護サービスににかかった費用全額が介護給付費として給付されるわけではなく、費用の補助である。だから、自己負担額もある。介護給付費を貰おうとすると、それだけ自己負担も増えるのである。記事によれば、給付額の6分の1しか使ってない人もおり、過剰なサービスを求める人も少ないという。
 介護給付費の支出は少なければ少ないほど良いに決まっているが、それを減らすために、介護給付を受ける人の意思を尊重しなくて良いというものではないと思う。老人福祉全体を見直して、福祉予算を有効に使うことも考える必要があると思う。
 
by yousui-nobidome | 2004-12-01 22:59 | 日本を考える


<< 親の顔を見た!! 福祉(3) >>