明日の記憶

 11月6日に「万引き」で取り上げた『明日の記憶』(荻原 浩 著)の感想文を書きました。本は私が朝の通勤時に聞いているTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ」の「トークパレット」木曜日のブックナビで本の雑誌社・顧問の「めぐろこうじ」さんが10月28日に紹介していたものです。
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★簡単にあらすじを書くと、若年性アルツハイマーに罹った男の発症期から次第に記憶が消えていくまでの物語です。若年性アルツハイマーに罹った男は佐伯といい、50歳の広告代理店の営業部長です。

★佐伯は会社に「若年性アルツハイマー」に罹ったことを言い出せません。いや、ある理由から言い出さないのです。その為、非常な努力をします。仕事で会った人から貰った名刺には、何時何処で何のために会ったのか、そこでの会話や約束したこと、果てはその人の似顔絵まで書き込みます。部下との会話や取引先の担当者との話まで克明にメモします。それらのメモが、最初はシステム手帳にされるのですが、その内にシステム手帳には収まりきれなくなります。

★アルツハイマーの症状がだんだん進んでくると、生活習慣や生活様式も変えざるを得なくなります。昔やっていた陶芸を再開するのですが、ここでもアルツハイマーのせいで人に裏切られます。

★やがて、部下に裏切られ、会社に
「部長はアルツハイマーだ」と告げ口されてしまい、ポストを異動させられ、やがて退社となってしまいます。

☆私がショックを受けたのは、佐伯が私とほぼ同じ年齢だからです。また、次のようなアルツハイマーの初期症状のようなこともあり、他人事とは思えませんでした。

☆アルツハイマーに罹ると、最初に曖昧になるのがごく最近の記憶だそうです。私にも思い当たるふしがあります。出かけようとして、家の玄関を出たときに何かをし忘れたことに気づき、家に取って返すのです。でも、家の中に入ったとたん、何をするために家に戻ったのか、忘れてしまっているのです。暫らく考えていても思い出さないので、また家を出ます。すると、やっとなんだったのかが分かり、今度はシッカリと頭に刻み込み、再び家に戻る、といった具合です。
 また、仕事を終えて帰る際、
「明日はあれをやろう」と決めて帰宅するのですが、明日になると
「あれ? 今日は何をするのだったっけか」となってしまうこともありました。暫らく書類仕事をしていると思い出してきます。まだ仕事のミスには繋がっていないのが幸いですが不安です。

☆アルツハイマーに罹った場合、大事なのは周囲の理解を得ることだと思います。温かな眼で見てもらいたいと思います。でも、それにはアルツハイマーに罹る前の人間関係を、良好に築いておく必要があると思います。佐伯も妻と娘の3人家族ですが、家庭(家族)関係は良好であったようです。妻のサポートが唯一の命綱として描かれています。会社では、家庭ほど甘いものではないので、理解は得られず部下の裏切りにも会ってしまいます。
 私の場合はどうなるのでしょう。唯一の命綱である妻のサポートは受けられるとは思います。子供はどうでしょう。今のところ、一番下の娘の理解やいたわりは受けられそうです。会社はどうでしょうか。まず、見込み薄です。口では
「大変ですね~、頑張ってください」とは、世間体から言ってはくれると思いますが、親身になった心配をしてくれる人は皆無でしょう。これは、今までの私の人生での至らなかった点でしょう。

☆会社に残ろうと思うかですが、私の場合はあっさりと白状して、サッサと止めてしまうかも知れません。少しでも意識のあるうちに、好きな趣味の世界に浸りたいと思いますから。今でも早く定年になって、一日中好きなことをやりたいと願っているのですから。
 でも、家のローンがまだ大分残っているので、難しいかもしれません。家のローンを組んだ際に入った生命保険の約款を確認してみる必要がありそうです。重度の精神障害は死亡と同等に扱ってもらえるかもしれません。
 佐伯にはローンは無いみたいでした。でも、世間に対する見得があって、ある時期までは退社したくない状況のようでした。

★小説はアルツハイマーとは、こんなに悲惨なものであるということを教えてくれました。重いテーマの小説でした。でも、終わりが爽やかであったので、読み終わったときは爽快感を感じました。著者の筆力が優れているのでしょう。
帯に
人ごとだと
思っていた
ことが、
我が身に
起きて
しまった。

とあります。「明日は我が身」という言葉もあるので、そのことを今から考えていても遅くないと思っている、今日この頃です。
by yousui-nobidome | 2004-11-28 17:30 | 日常生活


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