政治権力は暴力装置を伴う

 今朝(11月22日)の朝日新聞の「声」欄を読んでいて驚いた。標題に記した見出しで『無職 後藤 貞郎(東京都大田区 64)』さんの声が載っていた。驚いたのはその内容である。曰く、
「仙石氏の『暴力装置』発言は全く問題がなく、騒ぐ方がどうかしていると考える。大学の一般教養を学んだものなら、政治権力が暴力装置を伴うものであることは政治学のイロハとして知っているはずだからである。」と。更に、広辞苑まで引き合いに出して『暴力装置』発言を正当化しようとしている。
 何を寝惚けたことを言っているのかと思った。国会や記者会見は大学の政治学の講義の時間ではないのである。政治学のイロハをこんな所で解説して何の意味があるのか。要は、その発言を聞いた自衛隊員やそのご家族がどのように思うのかが重要ではないのだろうか。おそらく自衛隊員の方々は、国を守るということで自衛隊に入り、与えられた任務を遂行していて、誰も『暴力装置』の一員になったとは考えてはおられないだろう。
 百歩譲って、如何に(学術的に)正しい言葉遣いだとしても、『暴力』という言葉からは、『暴力団』とか『家庭内暴力』とかがあり、あまり良い印象は受けない。以前の『認知症』の時に、多くの方が意見を述べられ、『声』欄にも多くのご意見が寄せられていた。『障害者』という呼び方にもいろいろなご意見があると思う。我々日本人は、相手のことを慮って、相手に悪い印象を与えないように言い換えることをしてきた。先に掲げた『認知症』然り、『目の不自由な方』、『耳の不自由な方』、駅のホームでの
「ただいまお客様をご案内しています」等々、いろいろある。いくら(学術的に)正しくても人の世の中のことである。まして、政府の官房長官という要職(一説によるとナンバーワン)に居る方が、こんなことも分からないようでは到底政権を任せるわけにはいかないと思う。
 それにしても、この後藤貞郎さんはどういう人なのだろう。大学で教養課程を学んだようであるが、お歳からすると当時のエリートだった(当時、大学に入るのは今と比べて格段に難しく、浪人を何年もやった挙句、断念する人も多かった)のだろう。64年間の長きにわたって人の世の中で過ごしてきて、今は会社を定年退職し悠々自適の生活を送っているのだろう、年金をもらいながら。なのに、他人に対する愛情や思いやりというものを、ほんの少しでも持ち合わせていないようである。、最近、定年退職したか、社会の第一線を退いたとおぼしき方々が、『声』欄に投書している。是非、暇にまかせて言いたいことを書き連ねないで、ご自身の年齢にあった見識を、我々若輩者に伝えてほしいものである。
by yousui-nobidome | 2010-11-22 10:39 | 日日悶悶


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